« 愛媛輸入車ショー | トップページ | 対象設定の大切さ »

恐怖感

宗教の話ではなく恐怖と言う見えない感情の話。

米国のイスラム世界からぐっと話を小さくして、
日本の四国で考える。

ブームが続く四国霊場88ヶ所巡り。
バスツアーで来た人が、集団でお経を読み上げる。
数十人の集団なのに、怖くない。
理由は簡単で、その場所がお寺だから。
例えると、
教会に赴いて賛美歌や説教を聴くのと同じレベル。
宗教的な場所に意識して足を踏み入れているのだから、
何が目の前でおこっても恐怖は無い。それは、
見る側に受け入れる心の準備が出来ているだけの話。

もし、公園や公道を占拠して同じように集団でお経を読む
姿を見せつけられたら、他人に与えるものは恐怖だけ。
仮に聞き慣れた仏教のお経だろうがなんだろうが関係ない。
恐怖が先に来る。

私が子供の頃、近所にある有名な禅寺の托鉢修行僧を、
時代劇に出る「すぐに人を切る悪人」と思っていました。
しかし、今の子供達は時代劇を知らないので托鉢修行僧
に対して恐怖は無い。

恐怖は人間の心に由来する単純なものだと思えば、
無宗教の人間には克服も簡単。
宗教家だと死ぬまで克服出来ないのが現実。

|

« 愛媛輸入車ショー | トップページ | 対象設定の大切さ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 愛媛輸入車ショー | トップページ | 対象設定の大切さ »