ゴルゴ13雑感
さいとう先生、長い間ありがとうございました。
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ゴルゴ13は初めての大人向け劇画だったかもしれない。
昭和47年頃(小学校2年頃かなぁ、多分)、
実家(当時は喫茶店)で全てを読み漁っていた時代。
漫画の製作を分業制にするためにプロダクションを
設立したのが昭和35年だから、凄い先を見ていた人。
当時の漫画家と言えば、アシスタントを抱えて作業
をするが、基本は漫画家個人の努力成果物という仕
組みが主流だったにも拘わらず、自分が病気になっ
たり急死しても、出版社に迷惑をかけずに成立する
システムを確立しようとした努力は凄い。
完全にプロダクションとしてのシステムが確立した
のは昭和40年代前半の事(想像です)。
「ゴルゴ13」ビッグコミック
「無用ノ介」少年マガジン
「鬼平犯科帳」リイド社
欠かさず読んでいた記憶。
・
個人的に勘違いしていたゴルゴ13の言葉があります。
「この目で見た事しか、信用した事がない」
若いころは言葉通りに理解していました。
歳を重ねて分かったことは、
人間の人生、目で経験出来る量はしれていて、
それしか信用しないと人間は進歩できません。
「目で見たものを理解し十分信用するためには、
知識と経験を徹底的に積み重ねることが重要」
という話。
感覚的に「侍」の日常意識に通じるもの。
現代の007映画作品もゴルゴに学んでいるはず。
現代のアメコミ映画もゴルゴに学んでいるが、
アメコミの原作漫画は全く別の思考回路。
だから映画が良く原作が足りない。
実は日本人的「侍」の感覚は、
世界中に輸出され文化として花開いている。
それなのに、
下らない左巻きの人たちが煽る「親ガチャ」等
と言う言葉に耳を傾ける人たち。
全てありのまま受け入れて、
自分で現実を咀嚼し、
自分が努力し、
出来る範囲で楽しみ頑張るのが人生。
親の事で下らない時間や精神力を使うのは、
単純に無駄時間。
不公平ではなくて、そういう宿命。
宿命はスタート点。
途中経過が運命。
運命を変えられるのは自分だけ。
運命なんてのはシナリオに過ぎないので、
自由に変更できる。
ゴルゴ13のように、「ミッション(使命)」を
常にこなしていくことで、
最終的に「天命」を全うする生き方が出来る、はず。
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