責任と給料
日本人は何かの責任をとった姿勢を見せたいときに、
「反省の為に頭を丸める」とか
「給料を返上する」とか
「期末手当(ボーナス)を返上する」とか
「ボランティア仕事をする」とか
総じて訳が分からないことをする。
まあ、それを命じられる場合もある。
どっちも問題。
・
先日、水道橋(否博士)が壊れて断水した和歌山市。
現市長が責任をとって「期末手当を返上」するらしい。
あきれてものが言えません。
水道橋は何代ものあいだ「代替え手段(Bプラン)」
無しで1本の橋に依存。それは歴代市長や歴代の人の
責任問題で、現市長の責任ではない。
前任者の失敗を私が取り戻す!と言えば良し。
と言うのも、
国会議員だろうが市会議員だろうが、
警察官だろうが消防署員だろうが、
公僕と言われる仕事は、
仕事に見合う所得があるから「なり手」がいるわけで、
給料が低いは、
責任は大きいは、
ミスしたら個人の給料を減らされ、
自分が知らない昔の人の責任で給料減らされるなんて
事が続いてしまうと、
「まともな人は、その仕事をしなくなります」
学生運動時代華やかなりしころの「総括」みたいな話
をしていたのでは、日本が衰退します。
市長は仕事をしてくれ。
和歌山は一刻も早く仮設ではなく冗長化した水道施設
を建設するだけの話。
市長の賞与返上なんて誰も望まない。
誰しも生きていくために仕事を覚えて仕事をし、
その仕事でお金を稼ぎ生きていく。
生きていく手段として公務員や議員を選ぶ。
どんな仕事にも責任は伴うが、
公的な仕事で個人的に費用負担する必要はない。
市長が水道橋の崩壊を知っていて、
個人的に水道事業で大儲けしたなら賞与返納も仕方
がないが、今回もそんな話ではない。
在職中に運悪く水道橋がさびて折れたという話。
責任の取り方を間違えてはいけません。
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