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日本語と省略

サンドイッチマンと、
サンドウィッチマンは違う。

昭和の時代を過ごした人は確実に見て
いるので間違う事はありませんが、
サンドイッチマンを見たことが無い世代には
区別ができない違い。

それをサンドと略すと、食品も登場。
文脈で意味が変わる。

英語なのか外来語なのかカタカナ日本語か、
現実的な区別も重要。

 ・

「ヒゲダン」と言われたときに、
「髭男爵」を想像しても大丈夫。

頭の中は山田ルイ53世。
その状態でも会話は問題なく成立する。
山田ルイ53世が良い歌を歌っているだけです。
おかしいけどありえない話じゃない。

こういう形の円満な認識違いが継続する事で、
ボケた人とも会話が成立する。
相手が頭の中で何を想像しているかは分か
らないし重要な話以外は何でも良い(極論)
言葉を聞き流すと言う失礼な話ではなく、
相手にとってどうでも良い事は気にしない。

 ・

米国の頭文字だけになった省略単語の場合、
説明されても意味が分からない。

それを思えば、日本語は素晴らしい(強引)

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