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言葉や思考は文化

日常会話で使わないけれど、時代劇を見ると時々出てくる
言葉に「不埒な事を企んで・・」とか、
ここで言う埒は、善悪を区切る柵を表現していて、
柵を挟んで悪側の企みが不埒な企み。
例えば、
「不埒な事を」=「悪いことを(犯罪を)」
「おのれ不埒なヤツ」=「貴様は悪人か?」となります。
 ・
「埒」でも別の使い方もあって、
良く聞く「埒があかない」という言葉。
この場合は「埒があく=問題の決着がつく」
という意味なので、
「埒があかない」=物事の決着がつかないとか、
問題解決の終わりが見えないとか。

「不埒」はもう使いませんが、「埒があかない」は
聞きますし、無意識で使う。
この時代劇みたいな日本語が全て駆逐された時こそが
新しい日本の始まり(ちょっと違うかも)

日本語を昔の様に難しくする必要はありませんが、
趣ある日本語は残して欲しいと感じる機会が増えた。
正しく選別されていく機会があると良いのだけど、
破壊的な新しい単語の流通の方が速いのが問題。
破壊的な言葉に未来は無いし、価値もありません。

お互いが気持ちよく生きていくため、
相手の気持ちを常に慮る言語が日本語のはず。

これは悪意を持った外国人には絶対に通用する気が
しません。対応を切り替えないと、相手がつけあが
るだけになるのは仕方がない。
なにせ日本人は相手に甘い。
でもその甘さが日本人の良さでもある。

相手が知識人なら日本人の良さに気が付いてくれる
ものだけど、相手が野蛮人なら気が付くハズは無く、
甘さにつけ込まれるだけで終了する。

野蛮人には野蛮人を想定した対応を。

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